さくや 妖怪伝

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映画 
 妖怪映画の復活。と云ってもほとんど怪獣ものです。
 東宝・円谷とは別の進化樹を伝ってきた,どちらかといえば東映系特撮に近い,もしくは平成ガメラ・シリーズの流れにある気がします。
 主演は安藤希(のぞみ)。父(藤岡弘)の遺志を継ぐ妖怪討伐師の役。意外にハマり役です。女の子主演で気になる,立ち回りもなかなかです。
 映画の表現としては,拙(つたな)い部分は多いです。でも完璧な作品が,より面白いかと云えば,否(いな)と云えるとこが,人生の妙です。
 完成された職人芸より,いつまでも進化し変化し続けるものに注目していたいです。
 観ることで,拙い部分を補完する。そんな観賞もありです。観客が作品を愛するひとつの方法です。

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ぼく おかあさんのこと…

絵本 作:酒井駒子(文渓堂)
 ひさびさ絵本です。うさぎの「ぼく」とおかあさんしか登場しません。お休みの日の朝の10時40分から11時までのたった20分間のストーリーです。ここには最近メディアにはびこっている「絵本もどき」との決定的な違いがあります。傑作です。あるいはそれに見合うだけの世間的評価を得られないかも知れません。でも,僕は「この本に出会えて良かった」と心底思えます。良い絵本は普遍的です。

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文庫本のこと

 アメリカの大衆文化にペーパーバックがあるように,日本には文庫本があるのだ(ちょっと高いけど)。
 私の住んでいる処は,職場の在る渋谷まで40分程かかるので,何もしないでいるには少々手持ち無沙汰なので,文庫は重宝する。
 んで,文庫でも長篇小説ではなく,短編集やエッセイ,コラムの類いが具合が良い。続きが気になってしょうがないのは駄目。朝読んで,仕事中はすっかり忘れて,帰りの車中でページをめくり,ああそうだったと思い出す程度。しかも面白くなくちゃイケないと注文はけっこう厳しかったりもする。
 最近,急激に眼の調子が悪くなったので,揺れる電車での読書はホントは良くないのだけれど,この愉しみは結構捨てがたい(ちょっと高いけどもね)。 

(1999.10/11)

 BOOKOFFと云う新手の古本屋を利用している。知ってる人も多いでしょ?本と云うものはと一家言ある方にはオススメしませんが,文庫は安く読めればいいと思っているのです私は。

最近おもしろかった文庫〜小説以外(1999.10/29更新)
  • トンデモ怪書録 唐沢俊一・著(光文社文庫)
    脳天気本の紹介。トンデモ本との違いを語っているが,後半トンデモ本書評にすり替わっているぞ。
  • 伝染る「怖い話」 別冊宝島編集部(宝島社文庫)
    地下鉄サリン事件現場に地縛霊の出ない理由など,現代の怪談を民間伝承(学)として捉えた,“別宝”らしいルポルタージュ。
  • 私はウソが嫌いだ 糸井 重里・著(ちくま文庫)
    ショート・ショートではなく,うそ話集。だから小説ではない。フィクションだけれども…
  • リカちゃんのサイコのお部屋 香山リカ・著(ちくま文庫)
    「週刊SPA!」に連載された読者の心理相談室。相手を傷つけずに,相談者の「おかしさ」を指摘する著者の応答は,ユーモアがあり救われる。どれか一つは自分にも当てはまる症例があるハズ。
  • マグロは時速160キロで泳ぐ 中村幸昭・著(PHP文庫)
    ふつうトリが異常に好きな人ってのはトリは食べないんじゃないかと思うのだけど,
    魚を好きな人は食べるのも好きでいいんだろうか?著者は魚を愛でつつ,喰うことも好きだという。とにかくクールなのだ。鳥羽水族館に行ってみたくなる一冊。
  • 居場所がない 伊藤比呂美・著(朝日文庫)
    何故かこれは椎名誠のエッセイと同時に読んでしまい,男と女の最右翼の人たちの「生きざま」を見せられたようで,アンビバレンツたぁこんな状態かいって状態になってしまった。伊藤比呂美氏は詩人。でも「良いおっぱい悪いおっぱい」など出産,育児関係の著作で有名になってしまった。「性に対してリベラルな考えを持った女性が,よいお母さんに」的図式にあてはめられた著者の,社会や家族,自分への痛々しい抵抗と治癒が描かれたエッセイ。って決めつけちゃイカン
  • アニマタ・パンセリナ 中島らも・著(集英社文庫)
    世の中には稀にとんでもない本がある。これも,そのひとつ。
    内容は世にある数々の“ドラッグ”の紹介なのだけど,実験や体験談がちりばめられている。ちりばめられていたはずなのだが,途中からホントに中毒症で,「しゃれにならない」ところまできてしまう。なのに文体はあくまで軽やかなのだ。
  • 頭の中がカユいんだ 中島らも・著(双葉文庫)
    フィクションとも事実とも表しがたいのは,著者が嘘つきだからなのだろうけど,しゃべる速さで書いたような文章は,日本のフィリップ・K・ディックだ。…深いイミで。

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主婦は八百屋に娘は水に

詩集 作:奥寺佐渡子(新風舎 モダン詩ニューコレクション2・1986.5/9初版)

 「詩集を買う」ということはおそらく趣味的なことで,「小説」を買うことほど一般的ではない,と考える。
 ところで,この奥寺氏は私カイヌマの中学校の同級生だ。同級生に詩人がいることも一般的なことではない…けれど誰でも知り合いや親戚の中に,一人くらい有名人や「類い稀な人」がいたりするもんだと思う。詩人のひとりくらい大したことじゃない。
 私が奥寺さんに再会したのは「詩とメルヘン」の誌上だった。新進の詩人として写真(ポーズつき,歩道橋で虚空を見つめていた)入りで紹介されていた。大学生で,中国に留学予定だとプロフィールに記されていた。私はさっそく出版社に電話をかけ,彼女の所在を明らかにする…などという事は一切せず,胸の引き出しの何段目かにその出来事を仕舞い込んだのだった。
 それからかなり経って,パルコのブックセンターでこの詩集を手に入れた。限定200部サイン入りデラックス版(1,133円)。今から10年以上前のことだ。
 私は,再び奥寺さんに再会することが出来るのであろうか? そして,この詩集を持っていることを本人に知らせる機会はあるのだろうか?
 あったらいいなとは思うのだけどもね...

 映画「お引っ越し」などの脚本家の奥寺佐渡子さんは,同姓同名なのか,ご本人なのか。ちょっと気になっている。
 

(1999.10/10)

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映画のこと。

「カルパテ城の謎」
(THE MYSTERIOUS CASTLE IN THE CARPATHIANS )
(1981年チェコ)監督オルドリッチ・リプスキー 

  • ジュール・ベルヌ原作の空想科学奇譚。ナンセンスの捕らえ方がハリウッドとは根本的に違う。はずし方が絶妙なチェコ流のファンタジー。

 

「ストーカー」
(ロシア)監督アンドレイ・タルコフスキー

遠い宇宙の異文明の知恵が隠されているという『ゾーン』へ侵入する3人の男。孤高の小説家と,爆弾をも自作する物理学者と,ストーカーと呼ばれるプロの案内屋。彼等に立ちはだかるのは人智を越えた,想像を絶するトラップの数々であった… と書くと,インディー・ジョーンズばりのアクション映画のようだが,そうならないのがタルコフスキー流。ストーカーは突然草むらで昼寝を始めるし,詩の朗読がえんえんと流れたり,眠りを誘う演出なのかと勘ぐりたくなるが,これで眠くなるようでは「サクリファイス」は見れないし,「鏡」なんて熟睡間違いなしです。

『トゥルーマンショウ』
 トゥルーマンショウの何が面白かったのかを伝えるのは,多少困難なような気がする。
 勿論観て素直に感動しただけの事なのだけど,これをつまらないと云う人の意見も分かるし,全然違った見方をする人もいるだろうなと思えるのだ。
 例えば,あまりにあざとい部分,父との感動の再会のテレビショウ的な演出,作りものの月,あっけなくばれていくカラクリ… すべては意図的な,いうなれば監督から観客への挑発なのだ。「あなたに“『トゥルーマンショウ』にのめり込む観客たち”を笑う資格がありますか?」と云ってんだってば。オープニングで,「作られたドラマには魅力を感じない…」と伏線をはる独白のシーンがやたらアッサリしてたのは,そういう裏があるからだ。
 これは,僕のとても個人的なところに届いた映画だったのかも知れない。
 この映画すべてはクリストファ(=監督)の物語なのだ。ラストでえんえんと映されるカキワリの壁。編集室のモニタをのぞいた事のある人ならば(緊急報道を待つ深夜のテレビでもいい),あの虚無感の大きさがわかるハズだ。
 そして,あなたも私も,聖書のかわりにTVガイドを持つ現代の殉教者なのだから…

「ショーシャンクの空に」

 スティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」を読んだ。
 長篇というほど長くなく,短編と呼ぶには,ちと長過ぎるくらいの作品。「ゴールデンボーイ」という文庫本に納められている。映画「ショーシャンクの空に」の原作なのですねコレは。
 で「刑務所のリタ・ヘイワース」を読み終えてすぐ,うちの真向かいのレンタルアコム(…あるんですよ。返却も楽で重宝してます)で「ショーシャンクの空に」を借りて見ました。こないだは「ホテル・ニューハンプシャー」で「ショーシャンク」。ちょいと前の映画がマイブーム化しつつあります。
 「ショーシャンクの空に」は1994年の作品。主演はティム・ロビンス。ビデオには「未来は今」の…,とあるけど,「ジェイコブス・ラダー」など,ちょっとインテリっぽい反面幼なさの抜けない…的な役が多い長身の俳優さん。実際知性派なんだろうけど,私は童顔であまりそうには見えないと思ってしまうのだが。
 143分。以外と長い2時間23分を一気に観ました。
 感想としては,原作の方が好きでした。映画と小説では,表現手段が根本的に違うのだろうけど,映画的表現,それもシナリオレベルでのアザトサが見えてしまう点が残念。もしかして先に小説を読まなけリゃ感じなかったのかも知れないけど,きれい過ぎる点がいただけなかったです。色んな面で。
 ちょうど「レインマン」もそうだった。そん時も私としては珍しく小説(アレはノベライズだったのかな?)を先に読んでから映画を見たんだった。施設の人々やダスティン・ホフマンが健常者にしか見えなかった。トム・クルーズが施設で最初に目にする男だけが,それに見えた(きっとホンモノだったのだろう)。ショーシャンクの囚人たちもとうてい犯罪者には見えないのだ。主人公の相方となる初老の男(小説では語り役,映画でもそうなのだが)にいたっては「セブン」の老刑事役と同じ役まわりだ。ネームバリュー無視でキャスティングしろなどと云えないけど,でも,ベストの配役だったのだろうか? …だったのでしょうね,クライマックスの長台詞を決めるには。学のない囚人のはずが,奇蹟を目の当たりにして聖人のようになってしまうのですね。そう,映画は2時間というタイムリミットの中でコレという結論を出さなくてはならないのです。長いようで総てを語り切るには短か過ぎる2時間のあいだで。
 文学の場合,語らないことも表現となる(結論が出ない事が結論になるでもよい)のに,何故映画はどうしても結論を語らねばならないのか(何故映画の観客は結局なんだったの?と問うのか)? 勿論そうじゃない映画も在るだろう。でも大概のハリウッド映画が結末を語ってしまっている。「ブレード・ランナー」は仕方なかったとして,「ターミネーター2」など失笑ものではなかったか。
 アンディー・デュフレーン釈放の鍵を握る若い囚人が所長の陰謀で銃殺されてしまうプロットは映画的盛り上がりのためにリアリティを殺してしまったなぁと感じた。いかにも映画的解決法なのだ。派手でスリリングで時間がかからない。
 あと,もうひとつ。私にはティム・ロビンスがこつこつと石英などを彫っている様子がどうしても想像できませんでした。ダスティン・ホフマンやケヴィン・コスナーなら似合う気がするけど。だいたい穴掘って潜るんなら,小柄な人の方がリアリティ出たんじゃなかろうか。

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大日本天狗党絵詞 (だいにほんてんぐとうえことば)

漫画 作:黒田硫黄(アフタヌーンKC1〜4完結)
 アフタヌーンで短編を描いていた黒田硫黄(誤変換すると黒大王になるね)の長篇作品。連載時は期待が大きかったせいか,いまひとつ面白く思えなかったのだけど,単行本でまとめて読むとコレが面白いから摩訶不思議なもんです。筆で描いたような(筆で描いてんのかも)強くて柔らかいタッチが天狗の実在する世界に誘います。
 実は僕は,これを映画に撮りたいと思った。現実的には,まぁ無理だけど,妄想の世界では「大日本天狗党絵詞」を映画化する僕が確実にいたのだ。
 東京新都庁が崩れ,女の子がひゅうっと宙に舞う,土のにおいのする映画。
 ところで黒田硫黄氏って女性なのですね。
 短編集『大王』もよい。

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関連ホームページ

大日本天狗党党本部http://www.ne.jp/asahi/kurodaiou/tou-honbu/

(1998.記述日不明)

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羊のうた

漫画 作:冬目 景(スコラSC1〜4 以下続刊予定) 
 現代のヴァンパイアもの…と云っていいのか,計りかねるけど,登場人物が着物着てたり,けっこう和風。
 ストーリーは,父親の友人夫妻に預けられ育った高校生,高城一砂(かずな)が姉の千砂(ちずな)と突然の再会を果たし,高城家の“病”の話を告白される。
 平凡だったハズの一砂の人生は自らの発病,発作により一変してしまう… てなカンジです。
 作中にも語られる,「恋愛感情と並存する破壊衝動。本能に根ざす支配欲求」が主題に大きく関わっている(と思う)。元来の吸血鬼伝説の心理学的な解釈自体が,まぁそういったモンなのだろうけど,そのメタファのやり方が(絵の美しさと相まって)実に魅力的です。
 登場人物たちは,みな優しく,互いに愛を求めつつも,それを言動にあらわすことが許されない(だって,吸血鬼なんだものね)。そして惹かれるほどに,自分や相手を苦しめていく。
 人を愛することと,求める(求め合う)ことの狭間にあるもの。われわれは吸血鬼ではないけど,似たような衝動や,ややこしい部位を持ち合わせている生き物である事実に変わりはないのである。
 それはそうと,一砂の学校の美術部員の八重樫さん(フツーの人間)がイイ! 無口で髪も自分で切っちゃうようなガサツな女の子が,恋をしてしまう自分に戸惑っちゃうカンジがグゥです。
 パレットナイフで指を傷つけ,一砂に血を与えようとするシーンが印象的。

(1998.記述日不明)

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冬目景 その他の作品

『ZERO(ゼロ)』(バーガーSC)
『僕らの変拍子』(バーガーSC)
『イエスタディをうたって』他

関連ホームページ

冬目景研究所 http://member.nifty.ne.jp/hikoza~/
冬の缶詰 http://www2.raidway.ne.jp/~saichi/
緋閃空間 http://www3.osk.3web.ne.jp/~keycat/top.shtml

at 07:49, さばかん, 感想

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デジモン・アドベンチャー

TVアニメーション 東映アニメーション,フジテレビ(日曜日午前9:00)
 デジモンとはデジタル・モンスターのこと。名前で分かるように,ハッキリ云ってこれはポケモンの後追い企画だ。ポケモンの超ヒットがエポックメーキングとなり,人気ゲームを原作としてスタートしたアニメには『モンスターファーム』などもある。ポケモンがゲームボーイ版の爆発的ヒットから展開を拡げていったのと違い,デジモンはゲーム,アニメ,漫画,カード・ゲーム,おもちゃ等々,最初からミクスド・メディア的に,つまりは予定調和的に展開されていた。しかし,それが成功していることも事実だと云える。
●ポケモンとの差別化
 デジモンとポケモンの違いはいくつかある。しかし比較できるという点で両者は既に似ている。
 ポケモンの舞台はポケモンの実在する架空の世界。デジモンはデジタルワールドという仮想空間に住む人工生命体。で主人公たちは現実世界からデジタルワールドに迷いこんでしまうという設定だ。
 ポケモンは三態に進化。戦闘による経験やアイテムを使って進化。一度進化したものは逆進化できない。デジモンの進化はもっと複雑かつ何でもアリで,デジタマから孵化すると幼年期,成長期,成熟期を経て完全体になる。そしてさらに究極体に進化。究極体に進化するとエネルギーを使い果たし幼年期に逆進化(退化?)してしまったり,人間の言葉を話したりもする。
 ポケモンとの大きな違いは,ポケモンはもともと一本のゲームを手にいれれば,通信機能などを使って遊びたおせるようにできていたのに対し,デジモンは次々と新製品を展開し,買いつづけなければついていけないようになっていた点ではないだろうか。
●放送時間
 東京ローカルの話になってしまうのだけれど,日曜日の朝は子ども番組が並ぶ。7:00からの『ニャンダー仮面』は「アンパンマン」の原作者やなせたかしの新シリーズ。続く7:30からは『未来戦隊タイムレンジャー』は「スーパー戦隊シリーズ」の最新作。間をおかず『仮面ライダークウガ』。8:30は『おじゃ魔女ドレミ♯』。そして9:00から『デジモン・アドベンチャー』(現在は02)が始まる。
 実はドレミまでは10ch『テレビ朝日』なのだが,テレ朝は9:00から『新題名のない音楽会』が始まる。子ども番組好きは当然のように8chフジテレビにチャンネルを変えてしまう。しかも,クウガあたりまでは半分寝ている頭も,さすがにデジモンの頃には,すっきり目覚めている。
●集大成として
 ポケモンもそのひとつだが,デジモンは過去のヒットした子ども番組のエッセンスを過剰なほど取り入れている。当面の敵が倒されると,更に強い敵が姿を現わす展開は,ヒーロー物の王道だし,謎のもう1人の仲間探しも,それが身近な人間だったというオチも,不滅のパターンといえる。
 主人公が7人(途中から8人)と大所帯で,誰かひとりには感情移入できるようになっている。
 細かい話しをすると,各話タイトルバックの登場キャラの影絵は「ウルトラマンシリーズ」調。シリーズ途中で突然現実世界に舞台を移し,また戻る展開は「聖戦士ダンバイン」を彷佛とさせる。ウォーグレイモンの必殺技は「コンバトラーV」の超電磁スピンとそっくりだし,ガルダモンのそれは科学忍法火の鳥だ。敵メタルシードラモンを倒すため身をていしたホエーモンに対するセリフ「冗談ではない」は「起動戦士ガンダム」でシャアがはなったセリフそのままだった。
●デジモン・アドベンチャー
 では,デジモンの魅力とは何なのか?と云うと,それは制作者の姿勢ではないだろうか。
 どうせポケモンの亜流だから…という態度であれば,それは視聴者に伝わってしまう。デジモンは現代の「十五少年漂流記」を目指したのだそうで,8人(当初は7人)の子供達と,そのパートナーのデジモンたちをあわせると主人公たちの数は16にのぼる。これは,近年にない大所帯だ(しかもデジモンたちは進化し,名前も形態もかわってしまう)。それぞれのキャラクターの描かれ方,関係,成長が魅力的で数の多さを感じさせない。作品への愛がなければ,やはりこのようには,なれないのだろうと思うのだ。
(つづく)

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関連ホームページ

デジモンウェブ http://www.digimon.channel.or.jp/ 

at 07:47, さばかん, 感想

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